何気なくSNSやブログを徘徊していると、至るところに人生上級者と思われる人の処世術がつらつらと書かれているのをよく見かける。
人間とは、
人間関係とは、
ビジネスの心構えとは、
恋愛の駆け引きとは、
成功者のマインドとは...etc
森羅万象の「答え」がいたるところに散らばっている。
科学が神を殺した現代においては、あらゆるところに教祖が乱立しているようだ。
いまや道に迷ったとき、わざわざ聖書に「答え」を求める時代は終わり、アプリを開いて己の教義を140文字に込めてばら撒くのが現代の宗教戦争である。
人間が神を必要とするのではなく、神が人間を必要とするように、教祖(神)がこぞってフォロワー(人間)を獲得しようとする営みが日々繰り広げられている。
そんな荒れ狂う人生哲学をかき分けた先に、「そいつの人生そいつになってみなきゃ分からなくない?」といった素朴なつぶやきが生まれたとしても、そのつぶやきは誰も救われないので価値はない。
成功者ツイートの毒牙
無職の現状において、マッチョイズム全開のインフルエンサーを視界に入れると一瞬にして幸福度が下がり、幸せな思い出が10個ぐらい消え去っていくような感覚に見舞われてしまう。
ついこの間も、「人生はゲーム!徐々にレベルアップしてクリアしていこう!」みたいなツイートをみて血圧が上がった。
そもそも、人間ほど個体差の大きな動物はめったにいないのである。ポケモンで例えるなら、最初からリザードンと冒険に出る人もいる一方で、キャタピーと冒険に出る人もいる。進化したところで焼き殺されるしかない。
なんというクソゲー。しかも修正パッチなど来ない。
現代の聖典
一昔前に流行った「嫌われる勇気」は、セールスを意識した内容なのもあって、現代人の求めている単語がハッピーセットのように詰め込まれている。
「あなたは今この瞬間にでも変われます」
「他人に嫌われてもいいのです」
「一人の例外もなく幸福になることができます」
僕がこれを初めて読んだ小僧のときは、しばらく万能の啓発思想を手に入れたような気がしていた。部屋の中で紙をめくっただけで全てを解決した気分になっていたので、なんともおめでたい話である。
未だに根強い人気があるので、久しぶりに読み返してみて思ったのだが、売れる本というのは世の中に受け入れられる準備ができている本なのだろう。
黒澤明監督の映画「羅生門」でのセリフで、「真実とは、所詮、その人が真実と思いたいものにすぎないのではないか」という一句がある。
みんなが真実と思いたい理想を提供することにかけて、「嫌われる勇気」は成功したのだと思った。
かわいい猫
家の近くを散歩していたら、近所の家ですやすや昼寝をする猫を見つけました。とてもかわいい。
僕も猫になりたい。