先日も少し書きましたが、最近、京王線の無敵の人事件が大分世間を騒がせているみたいですね。
どうやらこの「無敵の人」という単語自体は、2ch創設者のひろゆき氏が提唱したネットスラングみたいです。
Wikipediaを調べると内容は以下になります。
「社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人」
実のところ世間を騒がせている「無敵の人」よりも、砂糖や車の方が圧倒的に人間を殺しているのは確かな事実なのですが(8秒に1人が糖尿病で死んでいる)、そういったものよりも話題性のある物事に飛びつくように人間の脳はできているのかもしれません。
この記事を書いている僕が証明しています。
ナチスの幹部であり、数百万人のユダヤ人を強制収容所に送って虐殺したアドルフ・アイヒマンの「1人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉が頭をよぎります。
無敵を考える
今回は、無敵になって犯罪を犯す人ではなく、無敵になって「無差別に」犯罪を犯す人について書こうと思います。
そこでこの「無敵の人」に該当する要素をまとめてみたいのですが、個人が無敵になりうる要素というものは実に様々であり、極端にいえばその日の気分しだいでも人は無敵になりえる。
酒を飲んだらすぐに分かると思います。
しかし、それでは議論するには物足りないので、主に「普通」に依拠する要素に欠けている傾向を上げていくことで、無敵の全容を明らかにしていこうと思います。
無敵になりうる要素
ということで、いわゆる順風満帆である人間の要素から、順風満帆の要素を一つずつ裏返していきます。
- 無職(もしくは低所得者)
- 人間関係が希薄である
- 配偶者、交際相手なし(失恋、離婚直後、これまで一度もできたことがないと尚無敵)
- 借金がある
- 容姿において劣っている
- 頭脳において劣っている(学歴、偏差値を含む)
- 思春期になにか問題を抱えていたことがある(精神分析的には重要)
- 前科がある
こんなものでしょうか。
なにやら書いている途中で自己紹介をしているような気がしてきましたが(無職こどおじ)、構わずキーボードを叩き続けることにします。
頭脳と無敵
頭脳において劣っている、という点に関しては補足があります。
というのも、日常の不満が家族や配偶者などの身近な人間関係にしか及ばない場合は、まだその人は無敵とはいいがたく、単に人間関係をこじらせているだけに見えます。
なので、それらの障壁を乗り越えたうえで、鬱憤の矛先を社会へ向けられるほどの知能がないと無敵にはなれないように思います。
無敵かどうかはさておき、実際にIQと犯罪者の相関をみると、犯罪者のIQは中の下に集中する傾向があります。
あまりに知能が低すぎると犯罪すら起こせないのかもしれません。
無敵と年齢
人生は年齢が増すにつれ絶望が加速していきますが、過去に無敵になった人間の例を見る限り20~40代が多いことから、無敵になる気力は若いうちしか湧かないのかもしれません。
いわゆる無敵の要素を兼ね備えていて、ある日末期ガンを宣告された老人が、無差別に車で通行人を轢きまくる、といった事件は聞いたことがありません。
それを裏付けるように、50~60歳以降の年代は自殺率が高くなります。
この事に関する考察を三島由紀夫の「不道徳教育講座」から
自分の死を最高の自己弁護の楯に使って、他人に迷惑をできるだけかけて死んでやれと思い出すと、自殺というものはもともと一種の自己目的の筈ですから、自殺の意義がだんだんうすれて来て、それが途方も無い対社会的行為になってきて、考えるだけでオックウになってしまう。
「考えるだけでオックウ」になる前に自らに引導を渡すようです。
ちなみに僕の住んでいる秋田県は、人口が少ないのに自殺が多い修羅の国でしたが、最近は自殺県ワースト1位から抜け出しました。
無敵と性別
この無敵の人事件は、ほとんど全てといっていいほど男性によるものです。もっといえば犯罪自体も多くが男性によるものですが。
というか、犯行におよばずとも、失うものがないのでやけくそになって社会に報復する、という思考にいたる女性を未だに見たことがないです。
個人的な感想としては、女性の感性は現実的なものに向かう傾向があると思います(ファッション誌より科学論文誌を読む女性は多くない)。
なので、「社会」という抽象的なものに矛先を向けるのではなく、しっかりと対象を定めて報復するのではないでしょうか。
無敵と収監
最近、福島で数日前に出所したばかりの男性が、無差別とも思われるような犯行を犯しています。
これは社会への報復うんぬんよりも、単に檻の中に戻りたかったかのような犯行です。
「捕まりたかった」といって自ら逮捕されにいくような犯人もいることから、犯行そのものよりも、刑務所を目指す人もまた無敵になるようです。
現役無敵の人の感想
ここまで他人事のように考察を重ねていますが、僕自身が立派な(?)無敵の人予備軍です。
チャームポイントは前科と借金がないことでしょうか。
そんな僕による無敵の人事件への所感を書いていきたいと思います。
あと今のところ犯行におよぶ予定はないです。(あっても書きませんが)
理解ができないわけではない
京王線の無敵の人について、報道の動画コメント欄にて一つを抜粋します。
作品というのは、犯行当時コスプレをしていた映画「ジョーカー」のことです。
個人的には、発言や犯行までの背景を察するに犯人の思考回路が理解できないわけではないので、「頭のおかしい奴」とは思えませんでした。
失恋や失業、人間関係のもつれにより鬱憤が溜まったところで、「ジョーカー」に触発されて犯行にいたる、というメディアが語る人間像に沿って考えるのであれば、行動様式としては極めて分かりやすい部類ではないでしょうか。むしろ世間の鋳型にしっかりはまっているように見えます。
そして、犯行後の供述で「死刑になりたかった」といっているあたりから、「善悪の判別」ができないようにも見えない。
なぜなら「悪いこと」をしないと死刑にはしてもらえませんからね。
僕が思う理解できない犯行とは、猟奇的な趣味の殺人(四肢切断など)とかで、今回の犯人に関しては、敢えていえば普通の人だと思いました。
精神不安
ある日の深夜、あまりにも精神不安が高まって、メンタルヘルスの専門家に質問できるアプリで爆弾を投じてしまった。
ほとんどの専門家とやり取りをいくつか重ねて得られるアドバイスは、通院して、よく寝て、風呂につかって、日の光を浴びて、運動して、まともなものを食え。というものである。
ありがとう先生。