「本を読め!」
これは僕が小学生の頃、ゲームばっかりして遊び呆けていたので、それを見かねた親からよく言われていた言葉です。
読書の秋ということもあり、読書をすすめる記事やコラムをよく見かけたので、僕なりの読書観を書いてみたいと思います。
人生が豊かになる?
さて、本を読むと人生が豊かになるのでしょうか。
読書は人生を豊かにする!とはよく聞く言葉です。
この言葉の通り、読書をして「人生が豊かになった!」と主張すれば、その人は豊かになっているのでしょう。
どこまでも主観的な問題なので、個々人それぞれに正解があるのは間違いないです。
しかし、いわゆる読書家の論をみるに、人生が豊かになった、という個人的な体験を普遍化するのに疑問を抱かない人が多いような気がします。
これは腑に落ちません。
「読書をすれば人生が豊かになります!」という主張は、誰しもに当てはまる真実でないのは少し考えれば分かること。
なぜなら、人生でほとんど本を読むことがない人間であっても、自分の人生を「豊かな人生」と評価しているのであれば、誰もそれを否定できないわけですからね。
視野が広がる?
読書をすれば視野が広がる!
これもよく聞きますね。確かに新しい情報に触れることで見識が広がるのは間違いないでしょう。
それが単に、自分の欲望を理論武装してるだけであってもです。
しかし、穿った見方をすると視野の狭さは、なかなか幸福に寄与しているのではないでしょうか。
視野を広げるのはいいとしても、それが全てにおいて肯定的な意味合いを持つかといえば、僕はそうではないと思います。
考えても見れば、何も知らなかった子供時代を、幸せだったと思い返す人は多いように見受けられます。
それがうかつに視野を広げてしまうことによって、価値観を揺るがすことによって、どんどん不幸になることはありえます。
猛烈に搾取されているワーキングプアの実態だったり、
屈折せざるを得ないような家庭環境への問題提起であったり、
凄惨な犯罪事件の実情だったり、
生きる気が失せるほどの格差社会についての考察だったり。
少し前に、犯罪を犯した加害者の親族について書いてある本を読んだのですが、なかなか興味深い内容でした。
世の中をくまなく見渡す視野の広さほど、幸福を阻害するものは無いのではないでしょうか。
うっかりペシミズム(厭世主義)に踏み込んでしまいました。
しかし読書は好き
とかなんとかいいつつも読書は好きなんですよね。
ゲームをしたり、体を動かしたりするのと同じように、本を読むのが好きなのです。
そんなわけで最近は、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読んでいます。
この作者の作品は、7年くらい前に、デビュー作の「梟の城」を読んだきりだったのですが、改めて読んでみると非常に面白いですね。
歴史を題材にした小説なのですが、著者の人物描写が卓越していて、実際にこんなことを喋っていたのかも知れない、と思ってしまいます。