あんぽんたんの日記

四半世紀生きました

ブス専の本懐

ブス専について

いわゆるブス専門。他にもB専やらモンスターハンターやらと言われているが、これは容姿に恵まれていない男女を専門に好意を抱く、もしくは交際をする人間のことを指している。

ブス専になりたい!

僕は過去にブス専になろうと努力したことがあった。具体的になにをしたのかというと、来る日も来る日もブス(失礼!)の顔を見て美人だと思い込む、美人の顔をみてブスだと思い込む自己暗示をかけようとしていたのである。

美人=ブス、ブス=美人の美的感覚の逆転に成功すれば、たいそう開けた世界が見えると思っていたのである。

 なにせ市場は常に競争相手がおらず、選び放題ではないか。デブ、ブス、BBA...大いに結構、なぜならそれを僕は愛するのだから。

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 こんな夢物語を本気で考えていた僕は大ばか者でした。どうしてもブスはブスにしか見えない。なぜなら美醜と言うのは残酷なまでに普遍性を持っていて、生殖に適した異性をふるい分ける感性を生まれながらにして人間は備えていると思われました。そうして僕は座標転換に失敗したのであります。

もっともストライクゾーンは広がりましたが。

ブスという選択肢

ここで一つ疑問が湧きます。

 この座標転換に成功したか、ストライクゾーンが無限に広いのか、もともと感性が逆転している人間のみが栄光あるブス専になりえるのかという疑問です。

ここに関してある考えが浮かび上がりました。

 ブスをブス故に選ぶ

ブスが美人に見えるからではなく、ブスだからこそ選ぶという考えです。

 ではなぜわざわざブスを選ぶのか。男の場合であればブスの方が自分のほうが優位に立ち回れるから、女の場合であればイケメンを選んで浮気される心配がないから...色々考えられますが、どれも本質ではないような気がする。しかしながら恋愛と感情論はどうしても引き離しずらい。そしてそもそも恋愛とはなんなのか。

芥川龍之介の一文

「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない」

性欲の究極の目的と言えば種の保存だと思われます。それを感情論で説明しようとすると明快な解答を得るのは非常に難しい。たちまち人それぞれな意見が噴出するからです。なので子孫繁栄に問いを絞っていきます。つまり

みんながイケメン・美人に集中するとあぶれる可能性が高い

こう考えると話が早いのです。絶対に美形の人間しか選ばないとなると限られた人間しか相手を獲得できない。つまりは子孫を残したければ妥協するしかないのです。

 加えて浮気の可能性も少ないときていればブスを選ぶ理由としては十分だと思われます。男がブスと結婚した場合、托卵*1の可能性が低くなります。

ブスは安定した子孫繁栄には適しているのです。

まぁ女が男を選ぶ場合、そこまで容姿が重要かといわれるとそうでもない気がしますが。

 

全く関係ないのですが家の周りを散歩していたら女性物の下着が放り出されていました。

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もちろん持って帰ったりはしていません。

 

*1:卵の世話を他の個体に托する動物の習性のこと。つまり不倫